こんばんは、音楽撮影プロデューサーの宮原那由太です。 LINE@登録で、ブログ更新情報が届きます!
ブログの連続更新、そろそろ一ヶ月くらい経ちますね。
年始から始めましたが、一応少しは続いているので、これが習慣になるようにもっと頑張っていこうと思います。
少しでも誰かの役に立てたら嬉しいですし、これをキッカケに僕自身の今後の活動に興味を持ってくれる人がいたらいいなって思っています。
さて、僕のブログ記事なのですが、やっぱり毎日書いていると色々なネタを書くことになりますよね。
脱・日記ブログのための「帰納」と「演繹」という考え方でも書きましたが、基本は僕の実体験から一般則を導いて、音楽系のネタに落とし込むという方法を取っています。
ですが、やはり毎回毎回それを行っているわけではありません。
場合によっては、全くの空想や思いつきからネタをひねり出して、ブログにしてしまっている時もあります。
というか、プロデュース的な考え方をすると、どうしても「今までにないものを作り出す」という方向で物事を考えているので、実体験に即していないものも沢山思いつくわけですね。
そうなると、やはり具体性のかけている記事が出来上がり、よく読んでみれば「机上の空論」になっていることも考えられます。
しかし、僕は、別に
「机上の空論」に意味がないとは思いません。
机上の空論だって、そこに記事として存在していれば、一つの「論」になります。
そして、その論が、時には誰かを動かすことだってあるんじゃないかと思うわけです。
何の役にも立たないと思われるものだって、もしかしたら何かを動かす可能性があると思っています。
世の中は今、本当に情報で溢れている状態です。
机上の空論が数多く出回っていたりもするでしょう。
でも、もしその机上の空論が、誰かにとっては、心に突き刺さるような、強烈なインパクトを出している論である可能性は、ゼロじゃないはずです。
その論に、具体性があろうがなかろうが、影響を与えることができたのなら、どちらであっても大差はありません。
大事なのは、一つの「論」としてそこに存在しているかどうかです。
存在しないものは、何も変えられません。
存在さえしていれば、それが例え机上の空論であっても、何かしらの意味を持ちえます。
「やらない善よりやる偽善」という言葉もあるように、何もしないよりは、机上の空論でも、発信していた方がいいと思うのです。
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机上の空論が人を動かすこともある ~やらない善よりやる偽善~
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